2012年01月15日

再スタートを切る

昨年暮れからずっと更新できていなかったブログ・・・。
ふと気づけば、2012年ももう半月が過ぎてしまいました。
そのことに反省しながらも、ふとあることに気がつきました。
つまり、1年は12カ月だから、今年もざっと24分の1が過ぎたということです。

実は、私は、元旦の晩に、今年1年の目標を定めました。
そしてその目標に基づいて、日々の行動目標や月間目標も定めたのですが、
調子の良かったのは、最初の1週間位で、先週などは、
あまり目標のことは意識しないまま、過ごしてしまいました。

このまま何だかんだしていると、1月もすぐに終わってしまうなあと、
ふと昨日手帳を見ながら思いました。
そして、それはつまり2012年の12分の1が終わるってことなんですね。
12分の1っていうと、結構大きい数字です。
そう思うと、1年なんて意外とあっという間に終わってしまうのかもと思い、
一日、一日を大事にして一生懸命過ごさないといけないなって改めて感じました。
だって、今年の目標が達成できるかどうかは、結局一日一日の積み重ねなのですから。

今年こそは、自分の立てた目標を達成して、素晴らしい人生を送りたい。
そのために、今日、再スタートを切って、目標達成のために頑張ろうと思います。
posted by 南亜矢子 at 18:56| Comment(1) | 人生哲学

2011年11月16日

児童虐待と里親について

私は、弁護士登録以来、弁護士会の「子どもの権利委員会」の委員をしています。この「子どもの権利委員会」とは、子どもの権利保障を確立するための委員会で、具体的な活動としては、児童虐待や非行事件、いじめなどの問題に取り組んでいます。

昨日、子どもの権利委員会があったので、出席してきたのですが、その中で、里親をされている方から、「里親の現状と課題」という特別報告がありました。
里親というのは、虐待にあったりして家庭で生活できない子どもを、自分の家庭に引き取って育てる人のことです。

昨今、児童虐待に関するニュースが頻繁に流れていますが、虐待にあった子どもは、虐待親から離れて、施設などに入所することになります。でも、本来、子どもにとって、施設での集団的な生活より、家庭的な雰囲気で養育されることが望ましいといえます。そのため、児童福祉法は、虐待にあった子どもを里親に委託することができると規定しています。

でも、日本の現状では、里親の認定を受けている人の数がとても少なく、虐待にあった子どもの多くは、施設で生活をしているのが現状です。こうした現状を改善しようと、厚生労働省は、家庭で生活できない子どもの内、里親のもとで養育される子どもの割合を、現在の9.3%から15%に引き上げることを目標に掲げています。でも、里親という制度が一般的にあまり知られていないのと、里親と認定されるには厳しい審査があるので、思うようにはいっていないようです。

昨日は、このような里親の現状と、里親の目から見た、虐待にあった子どものその後の生活の様子などが報告されました。本当に、虐待にあった子どもの心の傷は大きく、それが後になっても様々な行動となって出るようです。

例えば、
夜一人で寝れなかったり、一人でトイレに行けなかったりする子ども。
突然泣きわめいたり、逆に感情を全く表に出さず、固まったようになる子ども。
満足な食事を与えれていなかったため、異常に食べることに執着する子ども。
常に大人の顔色をうかがい、自分にやさしくしてくれる人にはガラッと態度を変える子ども。
あまりにひどい虐待を受けたため、部分的に記憶や意識がなくなるなど、かい離行動にでる子ども。
・・・聞いているだけで、胸が痛くなりました。

里親を増やすことは大事ですし、施設の職員を増やすことも大事です。
でも一番大事ことは、子どもに対する虐待をなくすことであるのはいうまでもありません。
その里親さんが、「子どもを育てることを知らない人が多すぎる。大人の再教育が必要だ」と語っておられたのが、印象に残りました。

大人の再教育・・それは、子育てに限らず、色んなところで必要な気がします。自戒の意味も込めて。
posted by 南亜矢子 at 22:16| Comment(1) | 日記

2011年10月12日

生きる目的とは

こんにちは。南亜矢子です。
今日からブログを始めました。
このブログでは、私が弁護士として、また一人の人間として、日々どんなことを考え、どういった活動をしているのかをお伝えできればと思っています。

皆さんは、生きる目的は何か?ということを考えたことがありますでしょうか?
私は、数年前から、生きる目的とは何だろうと考えるようになりました。
私の尊敬する稲盛和夫さんは、生きる目的を「魂を磨くこと」と言われています。
また、同じく尊敬するダライ・ラマ法王は、昨年11月に来日した際の講演会で、人生の目的を「幸せになること」とおっしゃいました。
ただし、ここでいう「幸せになること」とは、感覚的な幸せを意味するのではなく、純粋な精神レベルの幸せを意味します。
つまり、感覚的な幸せとは外面的な条件に依存するものなので、その条件がなくなれば幸せでなくなってしまう(例えば、事業が上手くいっていることや恋愛に幸せを感じる場合、それらが上手くいかなくなった途端に幸せを感じられなくなってしまう)。
でも、純粋な精神レベルの幸せは、外面的な条件に左右されないもの。本当の意味での幸せは、純粋に内面から生ずるもので、自分自身の心を訓練して得られるものである。

私は、このお二人が言われている、生きる目的は同じものだと思います。
魂を磨き、純粋に内面からの幸せを感じられること、それはもしかしたら、他人の幸せを願う利他の心のことなのかもしれません。
私は、弁護士業を通じて、また日々の生活の中で、自分の魂を磨いていき、一人でも多くの人が幸せになれるよう、利他行を積んでいきたいと思います。
posted by 南亜矢子 at 13:28| Comment(1) | 人生哲学